空をみつめる
春の鳶寄りわかれては高みつつ 龍太
俳人 飯田龍太が亡くなってから いくつもの追悼特集が編まれている 地元の京都新聞社 評論 <俳句はいま> 無名の墓石の一つとして 小川軽舟を読む
文学を志す故郷喪失者がテーマとしてきた郷愁 けれども龍太は故郷で俳句を生み出した 累累たる死を常に身近に感じることが 故郷で文学を続ける意味だった そこから逃れようとすれば 空を山を鳥をはるかに仰ぐしかなかった と小川は分析している
わたし自身 生まれ育った地をほとんど離れることなく俳句と出逢う 世界とのひとつの接点 西欧に多少触れたことで 逆に足下を意識するようになったかもしれない 俳句に親しんでからは 京都という風土が更にvividに感じられる 季語においても他を圧倒する京都 家を継いだ龍太とは違うはず なんだけれど なぜか空をモチーフにした俳句は多かったりする不思議^^
龍太は 詩は無名がいいと説いた 小川には それが 死は無名がいい とも聞こえるらしい
百千鳥雌蘂雄蘂を囃すなり 龍太
河5月号 追悼・飯田龍太 日本のこころ として現主宰との対談 1986年山梨日日新聞社 記事を転載している ちょうど わたしが俳句を始めたころ^^ 芭蕉についての言及 散文と韻文の接点 西行について 詩人は求めて求められないものに憧れる 金子兜太と森澄雄 この特集 来月に続くらしい
責任編集後記の スタジオ404には さきごろ亡くなった川柳作家 時実新子の記事再録 タイトル 時実新子は悪女か
ぞんぶんに人を泣かしめ粥うまし 新子
悪女ってのは かなり無理そうだけど^^
求めて得られないものへの憧れ これはわかる 全身全霊であこがれる
そんなとき ふと 空をみつめているのだろうか