見たままを写しとったつもりでも それはヒトの脳の解釈 らしい 写生はココロの光景を写し取り 感覚としての真実こそが詩と成り得る 
句会での自己防衛に〝見たままなんです〟 だからどうなの?の世界なんだけど 作者は見たままこそが写生=感動なのだと信じて疑わない 俳句はアートなんだから〜嘘も許されるのよって言うと 〝いいんです 日記代りだから〟 日記だってワクワクするほうが 楽しいのにな 
世界の泥濘をのたうちまわり 心の空洞を抱え 傷だらけになって涙し 闇の中から一雫の真実を摑み取る きのうと同じはずの地平が少し違って見える だが自分こそは手に入れたと感じること自体 幻想であり傲慢なのだろう  青空を剥がせば 世界はガランとした舞台装置なのかもしれない けれど 届かない眩しい光を求めずにはいられない