原爆忌も敗戦日も季語だけれど 作品はなかなか出来ない 忌日俳句というものも創りにくい 余程その人物に深く親しまないとムズカシイ 初心のころは〝稲刈〟とか句会で出句されると あの人は農業従事者なんだと堅く信じて疑わなかった 苗を育てたり天候に一喜一憂したりせずに どうして俳句だけ出来るんだろうと トライはしてみるけれど 今も異質さを感じる 空が落ちてくるんじゃないかって悩むぐらい考え過ぎだろうか 遠い人への憧れや妄想はなぜか確信に満ちてるのにね